サステナブルコミュニケーションの鍵は「生活者」に向けて発信し共感を生むこと
―右田さん、先日はへの登壇、おつかれさまでした!
右田:ありがとうございます。セミナーの中では、PRとはなにかという定義の部分も含めて、マテリアルとしてお伝えしたいことをすべてお話できたかなと感じていて、個人的にも非常に印象深いセミナーとなりました。
―今回のサミット開催趣旨も踏まえると、これからは広報担当者も「サステナビリティ」を意識すべきなのでしょうか?
右田:広報担当者は、これからますますサステナビリティを意識することが求められるはずです。しかし、「サステナブルコミュニケーション」といっても、特別難しいことをするわけではなく、広報として日頃から意識していることの延長線上にあるコミュニケーションだと思っています。
たとえば、普段の広報活動ではメディアやクライアントなど多方面のステークホルダーを意識してコミュニケーションを設計すると思いますが、これが「SDGs」や「サステナビリティ」の文脈になると、なぜか株主に向けたアピール要素の強いアクションになってしまう企業が多いですよね。これでは生活者には響きません。サステナビリティコミュニケーションにおいても、多様な価値観を持った生活者を認識し、彼らと自社との間に共通項を見つけて“生活者目線”でコミュニケーションを試みていくという基本姿勢は、普段のPR活動と何ら変わらないと考えています。
奄美大島での暮らしとPR業界での経験が、「サステナビリティ」を意識するきっかけに
―右田さんが「サステナビリティ」に関心を持つようになったきっかけは何ですか?
右田:PR業界で長年働くなかで、自分の働き方の持続性を考えるようになったことが、「サステナビリティ」を意識する大きなきっかけでした。当時は、「少しでもクライアントのためになる仕事をしたい」と思えば思うほど、無理が生じるスケジュールにならざるを得なくなっていたんです。そうした状況を幾度か経験するなかで、「人間も企業も、無理をすると必ず崩れてしまうのではないか」ということに気付いてからは、どうすれば持続的に質の高い仕事ができるのかを真剣に考えるようになりました。私のなかで「サステナビリティ」はPR支援をするうえでのひとつの重要なキーワードとなっていったんです。
また、僕の出身地である奄美大島での暮らしは、他者と助け合わなければ成り立たないものだったので、持続可能な体制づくりを意識するというマインドは、自分の幼少期から培われてきたのかもしれません。奄美大島では、台風や荒波で交通手段が遮断され、食料品はもちろん、島外からの物資が完全に途絶えてしまうことが日常茶飯事でした。そうした環境のなかでは、自分のことだけを考えていては生活が成り立たず、周りの人と“お互い様”の精神で協力し合い、融通しあうことで豊かな暮らしに繋がっていました。島の暮らしが当たり前だったからこそ、サステナビリティな企業経営にも、センサーが敏感に働くのかなと思います。
サッカー日本代表の決定的瞬間に立ち会えたファーストキャリア
―右田さんのPR業界でのキャリアは、どのような案件から始まりましたか?
右田:最初に入社したPR会社では、サッカー好きが高じて日本サッカー協会の広報業務に従事していました。今でも鮮明に覚えていますが、僕の最初の仕事は、本田圭佑選手や長友佑都選手らの活躍のもと、日本代表がワールドカップ出場をたぐり寄せた試合だったんです。僕は、取材に来たメディアに試合結果を記したペーパーを配りに行くという役割を担っていましたが、すべての紙を配り終えたタイミングで決定的なゴールがあったんです。貴重な瞬間に携わることができた印象深い仕事でしたね。
療養期間を経てPRへの思いを再確認。PR業界でのキャリアを再スタート
―その後のキャリアについても教えてください。
右田:実は、最初の会社で入社3年目を迎え大型のPRに携わり始めたころ、交通事故で怪我をしてしまったことがあります。当時の自分にとっては初めて任された大仕事でもあったので、どうにか仕事と治療を両立できないかと考えましたが、療養に専念することを決意。その後しばらくの療養期間を経て広告代理店への入社を検討していましたが、幾度かの面接を繰り返し自身のキャリアについて深掘りするなかで、「PRに携わる仕事がしたい」という気持ちが一層強くなりました。療養期間は、仕事から離れざるを得ない時間だった一方、PRへの思いを再確認できるきっかけでもあったと思います。結果、社員数3名ほどのPR会社にご縁をいただき、再びPR業界でのキャリアをスタートさせました。
―そこから、マテリアルに入社することになったきっかけは何だったのでしょうか?
右田:当時、マテリアルの大阪支社で働いていたスタッフと意気投合したことが入社のきっかけです。当時の大阪支社は、これから拡大していくというフェーズだったので、多岐にわたる業務を経験できそうだと思い入社を決めました。
大阪での支社業務から東京五輪の広報まで。マテリアルで多彩な経験を積む
―マテリアルでは、どのような仕事を手がけてきたのですか?
右田:2016年に入社してからは、ドアノック営業からコンペまで多種多様な仕事を経験してきましたが、現在の代表であるから東京転勤のオファーをいただいて、2019年からは東京での勤務をはじめました。
東京に異動した直後が、ちょうど東京五輪の開催直前だったこともあり、社内ので募集のあった電通PRへの出向も経験しています。もともとスポーツが大好きなので、みずから手をあげてオリンピックスポンサーの広報に従事しました。外部からの出向でしたが、電通PRの方々には本当に良くしていただけて、水を得た魚のように楽しく仕事をしていましたね(笑)。クライアントはもちろん、関係各所との合意形成など、非常に多くの学びを得ることができた機会でした。マテリアルに戻ってきてからは、広告代理店やクリエイティブブティックを担当するチームで営業職をつとめたのち、現在はプランナーという肩書のもと日々多くのクライアントと向き合っています。
―マテリアルで働くなかで、成長できたと感じるポイントはありますか?
右田:大阪の支社をゼロイチで拡大させていくなど、クライアントワークに加えて、組織拡大のフェーズも目の当たりにすることができたので、社会人としても希有な経験を積むことができました。組織運営や経営の視点を持てるようになったのは僕にとって大きな成長ポイントだと感じています。クライアントやパートナー企業の方々とお話をするなかでも、その経験や視点が活きていると思いますね。
「サステナビリティ」の専門分野でも頼られるPRエージェンシーを目指して
―右田さんの今後の目標を教えてください。
右田:サステナブルコミュニケーションは、これからの企業経営のなかでも大きくニーズの高まるスキルだと考えています。「サステナビリティ×PR」を意識し、取り組んでいくために、これまで考えたことのない多様なステークホルダーと向き合う瞬間が必ず訪れます。そうした多様なステークホルダーと自社との間に共通項を見つけ、自社の想いを届けて共感してもらえるような、私たちのようなPRエージェンシーの価値をより発揮することのできる場面も増えていくはずです。企業や社会のニーズにこたえられるように、今後もサステナビリティに関する知見を広げ、努力を続けていきたいと思っています。
―最後に、読者へのメッセージをお願いいたします。
右田:これからサステナブルコミュニケーションに取り組んでいこうとされている広報担当者の皆さまには、ぜひを大切にしていただけたらと思います。
冒頭でもお話したように、サステナビリティの文脈になると、自社のメリットを中心にPR施策を打ち出してしまう企業が意外と多いもの。しかし、いくら自分たちの目線で発信しても、情報があふれる現代では、生活者には響きません。生活者がどんな価値観を持ち、どのような想いを持っているのかをきちんと把握しながら、社会や業界、個人の課題解決に向けた本気の取り組みを伝えていく。それこそが、生活者の気持ちを動かす・行動をPRになると信じて、僕らはこれからもブランドビルディングのお手伝いをしていきます。
また、僕がお話した経歴からも感じ取っていただけたと思いますが、マテリアルには、自ら手を挙げれば、挑戦したいことにチャレンジできる環境とそれを応援してくれるカルチャーがあります。自分の想いや目指したい姿を軸に働くことは、実はなかなか難しいことですが、マテリアルでならそれが叶えられると僕は思っています。